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パーソナル・トレーニング開拓期|Workoutの本質を追い求めた者たち

トータル・ワークアウトのトレーニング種目は、2023年現在3,450種類以上。そのため、数多くのマニュアルと研修資料が存在しています。

16年前、私がトレーナーとして修業していた際にも沢山のことをテキストや講義で学びましたが、一番大事にしていたのは、先輩たちの経験や考え方を聞いて、見て、学ぶこと(良い意味で奇抜な先輩が多かったので、興味があったのもあります)。本場を知る人間から盗み、学び、それをまた後輩に伝える。その連鎖が「トータル・ワークアウトのトレーナーとは」という部分を支えているのかなと思います。

トレーニングサークルを結成。その名も・・・

2001年、日本初のパーソナル・トレーニングジムとしてトータル・ワークアウトが上陸する以前の話。

ケビン山崎がシアトルにトータル・ワークアウトを構えて活動していた頃、日本で活躍できるパーソナル・トレーナーを育成・排出すべく、少人数でパーソナル・トレーニングの研修をスタートさせました。

現在はその研修に参加していた現場トレーナーも数少なくなってきており、その内の1名が山口敦史トレーナーです(ちなみに、もう一名は吉田雄彦トレーナー)。

先輩達とトレーニング談議をするのはもはや私の趣味でもありますが、当時の様子は語られることも少ないので、皆様にもトータル・ワークアウトの礎部分をご紹介させていただきます。

さて、時は遡り23年前、山口トレーナーの専門学校時代。元々体操競技を本格的に行っていた疲労が蓄積された影響なのか、腰椎分離症で立てなくなってしまったことがあったそうです。そこで、病院の先生から体幹を支える筋肉をきちんとつけなさいと怒られたことが、筋力トレーニングに本格的に目を向けた最初の一歩だったそうです。

そのタイミングで、他大学在学中だった吉田雄彦が、トータル・ワークアウト シアトル研修の第一陣から帰国。当時トレーニングに興味があり、パーソナル・トレーナーを目指したい人間の登竜門として、シアトル研修が存在していました。この研修には、山口と同じ専門学校の先輩、他大学の吉田など、多くの初期トータル・ワークアウトを支えた人間達が参加をしており、そのメンバーが中心となってトレーニングのサークルを立ち上げました。その名も「トータル・ワークアウト」

皆でケビン山崎の理論への理解を深めようとウエイト・トレーニングに切磋琢磨。専門学校が終わってから集まってトレーニングを行うということを週6日実施していました。

ケビン山崎の一番弟子と対面

トレーニングサークル「トータル・ワークアウト」でカラダづくりに励んだ山口。

「ちょうど3ヶ月位継続した頃から変化を実感しました。身長176㎝、体重58㎏と細かった身体も、10kgの増量に成功し68㎏になりました。やればやるほど変わっていく身体に喜びと自信が増し、ケビン山崎の理論に俄然興味が湧いてきました。」

トータル・ワークアウトのサークルメンバーといつも一緒に居ると、度々、ある人物の名前が挙がります。「池澤智」というケビン山崎の弟子で、凄いトレーナーが居るらしい!と。

山口トレーナーをご存知の方は、彼の情熱的で猪突猛進な部分をイメージできると思いますが、ケビン山崎と池澤智に教わりたい!という気持ちが大きくなり、会う前から、池澤智という文字を見て想像を膨らませている内に、池澤智(さとし)という男性トレーナーだと勝手に思い込みます。

ついに初対面の日。シアトル研修に関しての話を聞くために赴いた池袋のカフェに表れた池澤智(とも)が女性トレーナーだった事に心底ビックリしたそうです。(山口らしい…)。

ここに書くと怒られそうですが、その時の池澤の髪型が、前髪のみ白髪という尖ったスタイルだったという話に、二度ビックリでした(池澤にバレない事を祈ります)。

パーソナル・トレーナーの登竜門 シアトル研修

何はともあれ、ついに念願のシアトル研修に参加した山口。
3週間プログラムの理論を学ぶ座学研修と体重を10キロ増加させるウエイト・トレーニング、そしてその肉体改造を行う為の1日7回の食事を実施。デニーズでグリルドチキンをガスバーナーで炙って貰い、日本料理屋で照り焼きチキン、サブウェイでターキーブレストを12枚、これをひたすら摂取する毎日。

当時の苦労話や挫折を聞き出そうという想いでインタビューに臨みましたが

「新しい理論を学べる、チャレンジできる貴重な環境だったし、みるみるうちに変化するカラダに、楽しさしかなかった!」と笑顔で語る山口トレーナー。

困難に立ち向かう時、トレーニングやカラダに向き合う時、むしろやる気がみなぎって楽しくなってしまう。そんな今も昔もかわらない山口トレーナーのパーソナリティーが垣間見えた瞬間でした。

パーソナル・トレーナーとして認められるまでの半年間

帰国後、ここで初めてケビン山崎と直接交流が始まります。
トータル・ワークアウト日本1号店である東京・三田店の一室で、増量したとはいえまだまだ細かった山口トレーナーのカラダにケビンが叱咤激励。その悔しさをバネに、6ヶ月間更にウエイト・トレーニングにのめり込みます。

体重68キロから73キロまでに筋量アップ。
この半年間、毎日専門学校が終わったあと、夕方からトータル・ワークアウト三田店に移動し、ケビン山崎に認めて貰いたい一心で、社員でもなんでもない状況にも関わらず「ケビンさんに顔を覚えてほしい!」この気持ちだけで突き進みます。

先輩達にお願いしてジム施設に入れて貰い、膝を擦りむきながら、ひたすら床掃除から買い出しといった雑務を買って出て営業終了後まで身を粉にして邁進。

その姿を当時見ていた吉田トレーナーは
「こいつは何でこんな状態なのに来続けるのだろう!?熱量あるやつだな。」と感心して見ていたそうです。
6か月間掃除と買い出しを続けたところで、ケビン山崎から話があると呼ばれます。

「ずっと掃除しているだけなのに楽しそうだな。楽しいか?お前トレーナーやるか?」
細すぎると叱咤激励されて以来、2回目のケビン山崎との会話です。
山口は「はい!」と力強く即答。パーソナル・トレーナー山口敦史が誕生しました。

「トータル・ワークアウト」の由来

ケビンに昔、トータル・ワークアウトの名前の由来を聞いた際、このように話していました。

アメリカ時代、ジムで働いた後の営業後にスクワットを行っていると、トレーナー達が自然と『Can I join?』と集まってくる。Work in といったら対象が一人。Work out というのは広がる、目的をもって皆で真剣に行う、という意味。

パーソナル・トレーナーという職業であり、カラダを鍛えるプロフェッショナルなメンバーが集まって、本当のコンペティションではないけれど、ただ仲良く集まってカラダを鍛えましょう、というのとは違う真剣勝負の気迫があるのがWork out。

そんな環境で生まれるカラダづくりのProgramを名称化したのが「TOTAL Workout」なのです。

ちなみに、work outにはカラダを鍛える以外に、良い結果を出す、答えを導き出す、物事の本質を見抜く、といった意味でも使われます。

山口が当時、あれだけ大変だったのに、なぜあのように頑張り前のめりになれたのか?

同じようにトレーニングやカラダ作りが好きで仕方なかったメンバーと出会い、切磋琢磨しながらカラダづくりの本質を探究し、カラダもココロも夢も「Work out」していたのが大きな要因だったのではないでしょうか。

ケビンの言葉を思い出しながら、トータル・ワークアウトのパーソナル・トレーナーとしての礎を改めて感じた気がします。


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KOJI SHIMIZU

KOJI SHIMIZU

パーソナル・トレーナー歴 17年

トータル・ワークアウト渋谷店 店長であり、トレーニング開発課マネージャーも務める、パーソナル・トレーナー志水浩二。Trainer's Room編集部の中心となりトレーナー目線でトータル・ワークアウトのカラダづくりにまつわる事柄をお伝えします。

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